天気 | 体調 | 気分 | 出費 |
---|---|---|---|
晴れ | 普通 | いいほう | \3800 |
出発地 | 終着地 | 走行距離 | 走行距離(合計) |
道の駅萩しーまーと | 道の駅阿武町 | 68km | 7999km |
昨夜は寝るのが遅かったが、頑張って8時前には起きる。
えっ!?なんだって!?
僕にとっては8時前は早ぇーぞ!?
そして萩の情報収集のため、この道の駅があく9時半までダラダラする。
どーせなら開くまで寝てろって!?
それは出来ないな・・・。
「旅初心者」だってプライドってもんがある。
今日はこの車内の温まり具合からいってほんと、暑くなる予感。
あー、恐い、恐い。
9時半に開いて店内に行き、軽くお菓子を試食し、それ以外の試食もあったのだが、体が拒否反応起こしているため止めておいた。
けどひとついいことがあって、どーやら萩博物館で期間限定、「吉田松陰」先生特集をやっているらしく、しかも¥100引きでチケットを入手できた。
やった!!楽しみだ!!
まずはわりかしここから近い松陰神社に行くことに。
ここにはとても楽しみにしていた建物がある。
それは「松下村塾」。
松下村塾とは吉田松陰先生が講義した私塾で、身分の隔てなく塾生を受け入れ、松陰先生が安政の大獄で粛清されるまでの、わずか3年しか存在しなかったが、尊王攘夷をかかげて京都で活躍した者や、そのあと明治維新で新政府に関わる人間を多く輩出したすごい塾。
ちなみにおもなメンバーは松下村塾の双璧の一人と言われ、僕も大好きだが長州藩きっての人気者「高杉晋作」、同じく松下村塾の双璧の一人と言われ松陰先生の妹と結婚した「久坂玄瑞」。
その二人と「吉田稔麿」と「入江九一」の四人で松下村塾の四天王とも言われている。
他にも「伊藤博文」や、「山縣有朋」など他にも多数いる。
ちなみに「木戸孝允」はこの松下村塾の塾生じゃないけれど、その前に松陰先生が教えてた長州藩の学校、明倫館で兵学の教えを受けていた。
この名前を聞いただけでもの凄いところだったっていうのが分かる。
そこで講師をしていた松陰先生ってほんとうに凄いなって思う。
もし僕が幕末に生きていたなら絶対に通いたい塾だ。
中にその著名人たちの写真が飾ってあり、隣でじーちゃんがたぶん自分が知っているであろう有名な人物の名前を口に出して読んでいた。
「・・・吉田松陰、・・・高杉晋作、・・・伊藤博文、・・・大久保利通かぁ。」
はっ!?まじかよ!?
あの薩摩の大久保利通が、長州藩の松下村塾に通ってたの!?
それが本当だったら歴史が変わっちゃうぞ!?
あのじーちゃんにはうちらには見えない何かが見えたんだろうな。
その後松陰神社や、伊藤博文の旧宅に行った。
ってか、もしかしたら幕末に興味のない人は「高杉晋作」より「伊藤博文」のが知っているんじゃないかな。
僕も幕末興味もつ前は、「伊藤博文」知っていても「高杉晋作」知らなかったし。
教科書に出てこなかったから、最初誰!?って思っていたし。
けど「伊藤博文」は初代総理大臣として有名だし、暗殺されたのも教科書にたしか出てきたからね。
だけど幕末に興味もつと、「高杉晋作」のかっこよさにみんな惚れるんだよね。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
そして誰もがこの言葉に惚れる。
晋作らしさがとても出ている言葉だ。
ちなみに司馬遼太郎は晋作のことをこう評価している。
「高杉晋作は革命家としての才能は、おそらく幕末随一であっただろう。幕末には坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎など、雲の如く人物が出たが、かれらは革命期以外の時代にでても使い道のある男どもだが、高杉晋作は革命期以外には使い道がないほどの天才であった。もし平和な時代に生まれていれば、飲んだくれの蕩児として、近親縁者の厄介者になったまま、世をおえたかもしれない。政治、軍事の才がある。それも革命期の政治、軍事でそれ以前やそれ以後の日本には、役に立たない。いわば、明治維新を起こすために生まれてきたような男であった。高杉晋作は、革命以外には使い道がないほどの天才。」
か、かっこいい・・・。
なんとなくの僕の勝手なイメージだけど、高杉晋作は織田信長と似ている点があるような気がする。
司馬遼太郎も言うが、あの時代に生まれてきたからこそ、活躍できたんだと思う。
二人がたとえ平安時代に生まれても絶対にここまで有名な人物にならなかった気がする。
多分信長は飲んだくれで終わって、晋作は女とばっか遊んで終わってたな。
時代時代の節目には必ずこーいった人物が出てくるんだね。
そーいう星の下に生まれてきた男。
かっこいいぞ。
ちなみに写真は伊藤博文
そこから少し坂を登った所に松陰先生の像や、みんなのお墓があった。
そして次は車で移動して萩市内へ。道の駅で萩博物館のチケットを買ったときに聞いておいた無料駐車場へ行く。
こっからは萩の城下町を散策。
しかし今日はほんと暑いな。なんも食ってないからくたばっちまうよ・・・。
でもいざ城下町を歩いたら、そんなこと忘れてカメラをずっとパシャパシャしてた!!
なんだろ、やっぱ予想どうり萩楽しいぞ!!
ものすごく行きたかった場所だったから九州行く前に行っちゃおうかとも考えたが、九州から戻ってきたら、絶対数日は旅がつまらなくなりそうで、そんときのために萩を残しておいたのだが、まさにそのプランは成功だった!!
いいよ。萩!!心躍るよ!!
僕の思うなんとなくの萩っぽい町並み。
なんか萩っぽくない!?そんなことない!?
その城下町には高杉晋作や木戸孝允の誕生地もある。
しかし、やはりここであまりにも喉が渇いて、水持ってきてなかったのでお店でジュースを買うことに。
せっかく萩に来たんだからということで夏にかんジュースにした。
これがまた爽やかで喉がカラッカラの僕には最高に美味しかった!!
この道沿いは美観を損ねないようね標識もないし、自動販売機もみんな茶色にしてある。
那須や軽井沢のコンビニみたいだ。
そして道の駅で買ったチケットを持って、萩博物館に。
なんだかとても楽しみだぞ!!
ここは松陰先生の生涯や、言葉、生き様が学べて、他にも高杉晋作のコーナーや、萩について、しまいには近くの山や海の生物の実態まで勉強出来た。
松陰先生も日本全国を旅したらしい。僕はそれがとても嬉しかった。
以前も言ったかもだが、みんながみんなこの旅を応援してくれるわけではない。
旅の話をすると、だいたいいつもこの言葉が返ってくる。
いつも思う。
この場に針と糸があれば一人残らず口を縫い付けてやるのに。
まぁたぶん羨ましさからなんだろうけど、とにかく嫌みくさく一言いわれる。
けど僕もいつまでも昔の僕ではなく、いちいち一言一言につっかっかってはいられず、そこは大人の対応で、愛想笑いをしながらその場をそそくさと逃げる。
そしてその足ですぐに近くの手芸屋で針と糸を購入するのだ。
話はそれたが、別に僕は幕末の偉人やら、凄い人になりたいわけではない。
ただ自分の尊敬している人々はみんな広い世界を見るために旅をしていたということが嬉しくてしょうがないのだ。
色々なとこで名前も知らないようなバーチャンとかに責められるが、僕は間違ったことはしてはいないんだって自信になる。
それが分かっただけでもここへきてよかった。
色々な意味でとても勉強になった。
そのあとやはりかなりお腹減ったので、車まで遠かったのもあり、めんどくさくなりここで食べてしまうことに。
僕が食べたのは「萩三旬丼」。
その日によってネタは違うらしいのだが、とても美味しかった。
ちなみに今日の魚は店員さんが持ってきてくれたときに説明されたのだが、僕は「待て!!」と言われた犬と同じでベロとヨダレをはぁはぁ出してそんなことはあまり頭に入らなかった。
萩を満喫した僕は伏馬のヒマワリを見に。
しかしまだ時期が早いらしく、ひとつも咲いていなかった。
7月下旬から8月上旬に行けば10万本の元気に咲くヒマワリが見れるみたい。
途中に安いドラッグストアーのコスモスがありそこでついに「ヨ―グルッぺ」を買うことに。
なんだかずっと気になっていた商品。ここら辺で買っておかないと、もう飲めないと思ったので。
買ってそっこう飲んでみたが・・・。
なんだろ、どこかで飲んだ味。必ず飲んだことあるぞ。
多分名前は違えど同じ商品は関東にも出回っているはずだ。
けど美味しかった。
そしてその後は温泉博士を使おうとしたのだが、ここからまた2時間かかるらしくそこは諦め、ここら辺は結構道の駅が多いため近くの温泉併合の場所に行くことに。
しかし、僕が予定していた方角に2つ温泉併合があるのだが、両方とも木曜休みだった。
けど今日は萩を歩きまわってどーしても温泉ですっきり汗を流したかったので、少し予定とは違う方角だが、阿武町って道の駅に行くことに。
行ってみると嬉しいことが二つあり、ここは温泉が¥300と安かった。
そしてもう一つは、ここは道の駅、発祥の駅だったのだ。
そーいえば旅出る前にウィキペディアで調べたが、全国にいくつか発祥の駅があるんだよね。そのひとつがここか。
たまたまだけど、これてよかった。
今日の日記は相変わらず幕末に興味ない人にはつまらなかったと思う。
まぁでもこれで幕末関連で行きたかった場所は終わりかな。
でもまたどっかあったら行ってしまいそうだけど。
風呂上がってブラブラと海まで行き夕日を見てた。
この海面に映るオレンジのラインがとても綺麗だった。
さて明日は島根入りだ。
けど島根って何があるの・・・?!